冷蔵庫の日のひとりめし

6.21-1-2朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、生野菜サラダ

今日は“冷蔵庫の日”であるらしい。

Wikipediaによると、「1985年日本電機工業会により、暑い夏が来る前に冷蔵庫を点検して欲しいという趣旨で毎年夏至の日に設定」されたものらしい。

云うまでもなく、夏至はその年によって日が違う。したがって、この“冷蔵庫の日”も、年によって日が変わることになる。

今年は今日が“冷蔵庫の日”だが、来年はまた別の日が、“冷蔵庫の日”となるのである。

それにしても、近年の電化製品はその性能が素晴らしく、昔のように点検の必要もあるまい、と、思われる。省エネ設計、使い勝手の良い大きさ、スペース配置、冷凍、冷蔵は云うに及ばず、急速冷凍、チルド室、等々、素晴らしい機能が備わっている。保証期間が切れるとすぐに壊れるように、自動時限破壊装置まで備わっている(?)

日本が世界に誇る技術の成華である。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない……ことはないか。

食パンは冷凍保存してあるし、卵はもちろん、生野菜サラダも、野菜ジュースも、バナナもヨーグルトも、新鮮さを保ったまま食せるのは、まさに冷蔵庫のおかげなのであるから。

6.21-2-1昼(弁当):麦飯(わさび昆布)、厚揚げのねぎみそチーズ、ほうれん草と椎茸のお浸し

厚揚げのねぎみそチーズは、初めて料理った。

ク○クパ○ドと云う某料理レシピサイトで見つけた献立である。いったん冷凍した厚揚げを使ったためか、味、と、云うか、食感はイマイチだったが、食べられないほどではなかった。厚揚げを冷凍保存せず、そのまますぐに料理したら、なかなかにイケる献立となろう。

ほうれん草と椎茸のお浸しは、これもなぜか、夏に合う献立のような気がする。ほうれん草の旬は冬だ、と、云うのに。


しかし、ふと思ったのだが、「青菜」と云う落語があって、その落語には、夏の落語であるにもかかわらず、題名通り、青菜が出てくる。青菜=ほうれん草、と、即断はできないが、やはり夏にも青菜はあるのであるなあ、と、妙にうれしくなった。やはり青菜類は、春夏秋冬時季を問わず、摂取せざるべからざる食材なのである。


6.21-3-2晩:玉子麦飯、生野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト、玉ねぎ、ニラ、もやし、貝割…すりおろしオニオンドレッシング)、小松菜のわさび和え、オクラと長芋の梅肉和え、冷奴、納豆、味付海苔

すでにお気付きのことと思うが、昼の弁当にほうれん草を持って行けば、夜は小松菜、昼が小松菜ならば、夜はほうれん草、と、なにがなんでも、の、ように、青菜類を食している。
別に、健康のために、ムリして食べているわけではない。むしろ、ほうれん草や小松菜などの青菜類を食べないと、どうも調子が悪くなるのである。気のせいだ、とは思うが、やむを得ない。
今週はお浸しとわさび和えだが、煮浸しにすると、もっと多くの量を食せるだろう。しかしそうなると、家計が厳しくなる。むつかしいところである。
ちなみに今週は、ほうれん草3束、小松菜2束、で、ある。
生野菜サラダは、一見量がありそうだが、これも煮たり炒めたりすれば、ほんのわずかに縮小してしまう。
逆に云えば、それだけ、ほうれん草や小松菜などの青菜類は、ギッシリしている、と、云うことである。
野菜の摂取、と、云えば、生野菜サラダを連想される方が多いと思うが、じつは野菜の摂取で肝腎なのは、そして効果があるのは、青菜類の摂取なのである。

世界難民の日のひとりめし

6.20-1-1朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、生野菜サラダ

今日は“世界難民の日”だそうである。
Wikipediaによると、「2000年12月4日、国際連合総会で、1974年にアフリカ統一機構難民条約が発効したことによる『アフリカ難民の日』を改称した」のだそうである。
悲しいかな、現在も世界の各地で、多くの難民が発生し、明日の生活どころか、今日このときの生命すら危難にさらされている。痛ましいことである。
イタリアが地中海沿岸のアフリカ諸国からの難民を受け入れないことを表明し、スペインがそれらの難民を受け入れることを表明した。
イタリアの措置を批難するのは簡単である。しかし、事はそんなに単純ではない。
わたいとしては、今回のイタリアの措置よりも、みずからは大量の移民を受け入れようともせず、また、自国にも移民が存在することすら知らずに平穏な日々を過ごしていながら、今回のイタリアの措置を批難する、極東の島国に暮らす人々の感性こそ、批難に値すると思う。
この月曜に発生した地震で、大阪の北部や京都などには、避難所で暮らしている人々が多くいる。そんな人々も、さいわいにして避難所生活を免れた人も、いまなお多くの難民が、世界の各地に、まぎれもなく存在していることを、この機会に、思い起こしてはいかがだろうか。
もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
避難とも、批難とも縁のない、いたって平和な献立である。

6.20-2-2昼(弁当):麦飯(しいたけ昆布)、鶏もも肉のカレー粉焼き、小松菜のわさび和え

鶏もも肉のカレー粉焼きがなくなった。思ったより量がなかったのは、皮をすべて処分したからであろう。もったいない、とは思ったし、いつものわたいの信条にも反することは重々承知していたのだが、料理法、と、云うか、使い道が分らなかったのである。
皮をつけたまま焼けばいい、と、知ったのは、料理を終えてからである。
我ながら、順序が逆である。まるで、坊さんの手に負えなくなってから、病院に行くようなものである。
ちょっと違うかな?
小松菜のわさび和えはこの時季にピッタリである。わさびのピリッとした辛さが、かえってさわやかである。
思えばこの献立も、長く料理っている。しかし、いっこうに飽きない。大ヒットの献立である。

6.20-3-2晩:玉子麦飯、生野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト、玉ねぎ、ニラ、もやし、貝割…すりおろしオニオンドレッシング)、ほうれん草と椎茸のお浸し、冷奴、オクラと長芋の梅肉和え、納豆、味付海苔

野菜ばかりとは云え、これだけの量を食すると、さすがに腹一杯になる。晩食を腹一杯食べるのは健康によろしくない。就寝中も内臓を使役することになり、内臓器官を休息させることができない。不眠や肥満、その他の疾病を惹き起しかねない。と、云う意見がある。なるほど、もっともである。しかし、腹の皮が張れば目の皮が弛む、とも云う。満腹になれば眠くなることは、人間に限らす、およそあらゆる動物に備わった、自然の性向である。
それに、ほとんどが野菜であるから、腹一杯食しても、すぐに、とは云わないまでも、朝方には空腹になる。
毎日の朝食の量が、それを如実に証明しているであろう。
要は、晩食に脂っこいものや、獣肉類などを食べすぎるのがよろしくないのであろう、と、勝手に憶測して、良しとしている。
同じ満腹になるまで食しても、獣肉類と野菜とでは、胃腸にかかる負担が違うのである。

朗読の日のひとりめし

6.19-1-1朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、生野菜サラダ

今日は“朗読の日”だそうである。

Wikipediaによると、“日本朗読文化協会が2001年に制定”したそうである。“「ろう(6)ど(十)く(9)」の語呂合せ”と云うことである。

まあまあ、解らないでもない語呂合わせである。

かつて欧州では、上流の貴族社会(いわゆるサロン)でも、市井の市民社会(いわゆるサークル)でも、盛んに朗読会が催されたようである。

読み書きのできる人が増えたこと、書物が入手しやすくなったことの結果であり、また、新たな文化が開花する原因ともなった。

現在でも、各地で朗読の会が催されているようである。一人黙々と読書にいそしむのもいいが、朗読会のような場で、みなと一緒に、ひとつの本を楽しむのも、またよいのではないだろうか。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

読書とも、朗読とも縁のない、いたって非文化な献立である。

6.19-2-2昼(弁当):麦飯(みそかつおにんにく)、鶏もも肉のカレー粉焼き、ほうれん草と椎茸のお浸し

以前にも記したと思うが、新しい料理に挑戦するときは、理科の実験を行うような気分である。
そうして料理った料理を食べるときは、並々ならぬ度胸を必要とする。
味が不味いくらいならまだいい。下手をすると、嘔吐下痢に苦しむことになる。命に係わることすら、あるかもしれない。笑いごとではない。とりわけ肉料理、魚料理などには、そんな危険性が秘められているのである。
そんなわけで、昨日の昼食の弁当を食するときは、スリルとサスペンスの最高潮を味わった。
さいわい、最初に料理ったにしては上出来だったので、今日は安心して食べられた。料理ったときは、カレー粉を入れ過ぎたかな、と、心配したものだが、いざ食べてみると、それでも少なく感じた。カレーらしいピリリとした辛さが、いささか欠けているように思えたのである。
ほうれん草と椎茸のお浸しにも、油揚げを入れてある。理由は昨日記したとおりである。味付けはしなかったので、仕事場に常備してある濃口醤油が活躍した。今回は我ながら、ナカナカの出来栄えのお菜である。

6.19-3-2晩:玉子麦飯、生野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト、玉ねぎ、ニラ、もやし、貝割…シーザーサラダドレッシング)、小松菜のわさび和え、オクラと長芋の梅肉和え、冷奴、納豆、味付海苔

なんだかんだ云っても、朝はまだいい。充分、人並みの献立であろう。どこぞの喫茶店のモーニングと云っても、充分通じるだろう。
昼の弁当も、見てくれはともかく、栄養バランスの面から見れば、申し分なかろう、と、ひそかに自負している。
さて、問題は晩飯であるが、云われるまでもなく、よく解かっている。
動物性タンパク質が、いかにも少ない。麦飯にかけている玉子が、唯一の動物性タンパク質である。これがなければ、西洋風精進料理である。
野菜が10種類である。植物性タンパク質が、豆腐(冷奴)と納豆である。
タンパク質総体としてみれば、決して不足しているとは思わないのだが、それでもやはり、もう1品、肉か魚が欲しい。しかしそれを入れると、いくらなんでも、食べ過ぎであろう。このままでも充分、食べ過ぎの量である。
量と質(栄養のバランス)の関係に悩まされているのは、なにも哲っちゃんばかりではないのである。

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