ろ~りぃの食卓

二十代の初め頃、「キャベツの千切りって、どうやるんだ?」と、訊いて呆れられ、みそ汁を料理るときに、具材よりも先に味噌を入れて蔑笑われた男でも、これぐらいの料理ならできる! と、云う、見本です。 料理が下手と云われて落ち込んであるあなた! 自分は料理なんてできないんだ、と、諦めてるあなた! このブログで自信をつけてください! わたいができることならば、だれでもできる! あなたにだって、きっとできる!

2020年08月

ジュリアナ東京閉店の日のひとりめし

2020.08.31-1-2朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

1994年(平成6年)の今日、8月31日、バブルの象徴と云われ、一世を風靡したジュリアナ東京が閉店した。
Wikipediaによると、ジュリアナ東京とは、〝ウォーターフロントと呼ばれた東京都港区芝浦にジュリアナ東京ブームを築いた伝説的なディスコ〟であり、その〝正式名称は「JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦」である〟のだそうである。
このジュリアナ東京から、〝お立ち台(ギャル)〟や、〝ジュリ扇〟と呼ばれた
羽根つき扇子、〝ボディコン・スタイル〟、等々の風俗――言葉の正しい意味での――が、流行した。これらの言葉ならびにその言葉が示すものは、現在でもバブルの象徴として、あるいは憧憬をこめて、あるいは懐旧の念とともに、またあるいは揶揄を含んで、語られている。
当時は地方都市に住む若者――男女を問わず――のあこがれであり、一度は訪れたい場所であった。似たようなディスコや音楽系クラブが、それこそ雨後の筍のように出現し、そこに群れ集う男女が、上世代の眉を顰めさせたものである。
それはまさに、バブルを謳歌する若者の、東京の、日本の、象徴であった。
現にこのジュリアナ東京が店を閉じたことが、バブル経済の崩壊を如実に示す現象として、当時の人びとには衝撃をもって受け止められたものである。
当時〝新人類〟と呼ばれて先行世代を顰蹙せしめた若者たちが、いまではいわゆる〝アラフィフ〟である。往時茫々、時は流れるものである。

2020.08.31-2-2昼(弁当):
麦飯(茄子の辛子漬け)、鰯の梅生姜煮、小松菜のわさび和え、野菜とわかめの酢漬け

鰯の梅生姜煮は、先週の残りである。先週は〝鰯の生姜煮〟と表記したが、正しくは、〝鰯の梅生姜煮〟である。
ご覧のとおり、イワシは魚偏に弱いと書く。これは鰯が〝足が速い〟、すなわち早く腐敗するからである。そんなわけでか、鰯は生姜煮や酢漬け、罐詰などが多く好まれる。あまり素焼きにされることはないようだ。週の初めとは云え、先週分の残りである。大丈夫かな? と、不安に思わないでもなかったが、べつにどうと云うことはなかった。腐敗臭もしていなければ、味も変わっておらず、はらの調子も悪くなっていない。善哉、善哉。
むしろ、小松菜のわさび和えのほうが、少しく傷んでいるようだった。妙に酸っぱく、いつもとは味わいが違っていた。しかしこれは先週ずっとそうだったし、それでいて、胃腸に異常は来たしていないのだから、気のせいかも知れない。
それにしても、体温のような暑さが続く昨今、いくら冷蔵庫の性能がよくなっているとは云え、過信は禁物である。何事も用心するに如くはない。コロナにばかり気が云って、ナンタラ食中毒に罹ってもつまらない。

2020.08.31-3-1晩:
玉子麦飯、塩さばフィーレの焼魚、小松菜のわさび和え、きのこ類の佃煮風、木綿奴、納豆、味付海苔

以前にも記したかも知れないが、塩さばフィーレの
フィーレとは、仏語の「Filet」のことで本来の意味は少量、網と云う意味なのだそうである。獣肉などでは、よく、ヒレ肉、などと云う言葉を聞くが、魚ではあまり聞かないのではなかろうか。魚の場合は、三枚におろした片身のことなのだそうである。なるほど、〝三枚おろしの片身〟と云うよりも、〝フィーレ〟と云ったほうが、なにやら高級感が漂うのであろう。西欧米劣等感のなせる業、で、ある。
そのフィーレを、久しぶりに、素焼きにした。早い話が、塩さばの素焼き、で、ある。昼の記事で、イワシとは魚偏に弱いと書く、と、記したが、〝サバと云う字は魚偏にブルーでしたか〟との名言を放った人がいた。いわゆるひとつの〝ミスター〟と呼ばれる野球人である。
鯖も鰯も、味が良くて、栄養価が優秀で、しかも価格が廉い、いわゆるひとつの大衆魚、で、あり、お魚の三冠王、で、ある。
小松菜のわさび和えだが、今回は上手くいった。おそらく先週のは、素材がいまひとつだったのだろう。野菜も立派な生き物である。天候や土壌の良し悪しによって、その風味が左右されるのはやむを得ない。近年は人工栽培や品種改良などで、一定の味が保たれていることに慣れきってしまっているようだが、本来はそう云うものではないはずである。便利を追及するのも結構だし、むしろそうあらねばなるまいが、本来の姿、本来のありかたも、決して忘れてよいものではない。

御成敗式目制定の日のひとりめし

2020.08.27-1-2朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は御成敗式目が制定された日なのだそうである。
御成敗式目とは、云わずと知れた、鎌倉幕府における武家の成文法であり、後々まで大きな影響を与えた法律である。
Wikipediaによると、〝鎌倉時代に
、源頼朝以来の先例や、道理と呼ばれた武家社会での慣習や道徳をもとに制定された、武士政権のための法令(式目)〟なのだそうである。当時の〝執権であった北条泰時が中心になり、一門の長老北条時房(泰時からして叔父にあたる)を連署とし太田康連、斎藤浄円らの評定衆の一部との協議によって制定された〟とのことである。
ここで注意しておかなければならないのは、この法令(式目)が、〝武家政権のための〟ものであって、公家社会はもとより、被支配者であった草莽の民百姓までにも及ぶ現在の法律のようなものではなかった、と、云うことである。
とまれ、この御成敗式目は、後の室町幕府においても、いわゆる戦国時代の大名たちによる分国法、家中法度などにおいても、その影響を及ぼしている。江戸時代に制定された武家諸法度にも、大きな影響を及ぼしている。戦後の憲法どころの話ではないのである。
その細目に興味がおありのかたは、数々の専門書や入門書が出版、あるいはネットに掲載されていることだろうから、そちらをご覧いただきたい。喧嘩両成敗の原則はもちろん、女性が御家人たることを認めるなど、ナカナカに興味深い項目が並んでいる。現在の法律を考える上でも、なにかと参考になるのではあるまいか。

2020.08.27-2-2昼(弁当):
麦飯(茄子の辛子漬け)、鰯の生姜煮、小松菜のわさび和え、茄子とゴーヤとピーマンの佃煮風

茄子とゴーヤとピーマンの佃煮がそろそろなくなりそうである。結構あったと思ったのだが、やはり煮詰めるとだいぶに嵩が減る。減っているのは水分だろうが、願わくば、栄養分も流れ出ていないことを、で、ある。味がいまいち薄く感じるのも、水分とともに味も流れ出たからかもしれない。あるいは、佃煮風にするには、調味料が足りなかったとか? なんにせよ、あまりに味付けが濃いのは健康によろしくない。かと云って、あまりに薄味に過ぎても、物足りないのだが。
鰯の生姜煮も、今回は薄味だった。たしかに調味料を控えめにしたのはしたのだが、そんなに大幅に減らした憶えはない。不思議なものである。今回は大ぶりなのが一匹は云っていたから5食分になったが、たいていは1パック=4食分である。たいてい1パック=200円(税抜)だから、1食あたり50円(税抜)の勘定になる。ありがたい廉さである。それでいて味も栄養も抜群なのだから、まさに鰯さまさまである。鰯の頭も信心から、と、云うが、こんな有り難い食材なら、信心もしようと云うものだ。なにかとカネばかりかかるような宗教など、拝む気にもならない。
小松菜にはビタミンAが多く含まれており、これは目の栄養になるそうである。PCやスマホなどで目が疲労しがちな現代人には、必須の栄養素と云えよう。ビタミンAは油とともに摂取すると、その吸収が促進されるそうである。わさび和えに油分は含まれていないが、その代わり、鰯と一緒に食べている。鰯に良質の油が多く含まれていることは、これまた、よく知られているところである。

2020.08.27-3-2晩:
玉子麦飯、揚げないミンチカツ(3個)、小松菜のわさび和え、木綿奴、納豆、味付海苔

揚げないミンチカツは、初めてにしては上々の出来である。欲を云えば、いささか硬い。型崩れしないようにしっかり形成する、と、云う意味のことが書いてあったので、その通りにしたのだが、その通りにしすぎたようだ。まあ、途中でボロボロに崩れるよりもいいとしよう。
揚げないミンチカツができるとすれば、揚げないコロッケだって、出来ない道理はないはずである。なにしろ違いと云えば、じゃがいもを使うか使わないかでだけで、料理りかたやコツなどは両者共通だろう。折を見て料理ってみることにしよう。コツを忘れないうちに料理ってみるのが望ましいのだが、如何せん、こればっかりは、その気にならないと上手く行くものではない。むつかしいものである。
絹奴にとんとご無沙汰になってしまった。木綿奴のほうが、たんぱく質の摂取には好ましい、と、聞いてから、もっぱら木綿奴である。ビタミンのミネラルの、と、ばかり記しているので、たんぱく質を軽んじているように思われるかも知れないが、決してそんなことはない。たんぱく質は筋肉を造成し、補強し、修繕するためには欠かせない栄養分である。高齢になって骨折が多くなるのは、カルシウムの定着が現象することもさることながら、たんぱく質の摂取量が減退し、筋肉が衰えるからだと云う。もっともな話である。
たんぱく質が重要であることは重々承知しているが、それにもかかわらず、あまり記さないのは、たんぱく質はさほど意識しないでも、自然に摂取しているからである。それにたんぱく質、と、云うと、どうしても肉類、ことに獣肉類を推奨することになってしまう。それよりもむしろ、魚肉とか、大豆などの植物性たんぱく質とか、そちらのほうを、わたいとしては、推奨したいのである。

シルマンデー・ユースホステルの日のひとりめし

2020.08.26-1-2朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は〝シルマンデー・ユースホステルの日〟なのだそうである。
Wikipediaによると、〝
ユースホステルの創始者であるリヒャルト・シルマンを記念する日〟であり、〝世界中のユースホステルで記念行事が行われる〝のだそうである。
ちなみに、〝
ユースホステルを創設するきっかけとなった〟のは、ドイツの小学校教師であったシルマンが、〝1909年のこの日、生徒たちと遠足に出掛け、突然の大雨のために小学校で雨宿りをしたが、夜になっても雨は止まず、そこで一夜を明かすこととなった〟事実に基づくものなのだそうである。
現在でもユースホステルを利用する人たち(ホステラーと云うそうなのだが)はいるのだろうか。格安で宿泊できるうえ、自然や多くの他の客人たちと触れ合うことのできる(原則、相部屋)、貴重な機会であるのだが、残念ながら、わたいは一度も利用したことがない。大体が引込思案の陰弁慶で、社交性や協調性は皆無の男なのである。
と、固く信じていたのだが、学生時代に入り浸っていたアメリカン・バーのマスターには、「必ず友だちを作りはりますね」と云われ、同期の友人には「社交的」と、評された。八戸に旅したときなどは、臆面もなく同宿の人たちに話しかけ、ときにはおしゃべりが過ぎて、ウンザリされることもある。ジキルとハイドではないが、二面性があるのだろうか。それともこれも横溝正史さんのいわゆる、上方人特有のサービス精神、と、云うやつだろうか。我ながら、よく解らない性格である。
しかしこうしてみると、引込思案、陰弁慶、とばかり決めつけていないで、思い切って、ユースホステルなども利用してみれば、また面白いことが起きるかもしれない。人間、料理に限らず、何事においても、挑戦が必要である。

2020.08.26-2-2昼(弁当):
麦飯(茄子の辛子漬け)、揚げないミンチカツ&玉子揚げ、小松菜のわさび和え

揚げない玉子揚げと云う、〝大人女子〟なる言葉にひとしい形容矛盾の献立は、揚げないミンチカツに使用した溶き卵と小麦粉とパン粉の残りを混ぜ合わせて料理ったものであり、これもまた、母者の直伝である。使用した食材を無駄にしない、しかも味がよく、栄養分にも秀でている、すぐれものの献立である。
ミンチカツが俵型になり、またこのあげない玉子揚げが結構嵩を取ったので、茄子とゴーヤとピーマンの佃煮風を入れる余地がなくなってしまった。それはそれで、已むを得まい。
野菜の摂取量が減ってしまった、と、思ったが、よく考えてみると、ミンチカツのなかに、玉葱、人参、キャベツを仕込んで(?)ある。これだけで、3種類の野菜を摂取していることになるわけである。揚げもの(揚げない、とは、銘打っているが)にしては、健康的な献立である?
ご存知の方はご存知のとおり、玉葱は弱火でじっくり、30分かけて炒めるのが、わたい流――正確に云うと、母者流――である。今回わたいは、玉葱一玉、人参一本を、その要領で炒めた。キャベツは1/4の半分、すなわち1/8を、おなじく30分悼めようと思ったが、こちらは油が少なかったのか、15分炒めるのがやっとだった。それでもこれだけ炒めると、それぞれの旨味が抽き出され、格段に味がよくなる。なるほど、何事につけても、先達はあらまほしきことなり、で、ある。

2020.08.26-3-2晩:
玉子麦飯、鰯の生姜煮、小松菜のわさび和え、茄子とゴーヤとピーマンの佃煮風、木綿奴、納豆、味付海苔

昼の弁当に入れられなかった副菜の、茄子とゴーヤとピーマンの佃煮風を晩食にまわした。これでなんとか、7種類の野菜を摂取したことになる。とは云っても、タテマエ上は、と、云うか、名目上は、と、云うか、だが、それでもまったくないよりはマシであろう。一輪咲いても、花は花、なのである。
小松菜のわさび和えに苦味を感じる。湯掻き時間が足りなかったのだろうか。しかし小松菜は、生食できるほど、アクのない食材である。湯掻くのも、湯掻くと云うよりは、さっと湯に潜らせるだけでいいくらいである。どうも妙だ。腹を壊したりはしていないから、腐っているわけではない。まあたまにはこんなこともあるのだろう。
鰯の生姜煮もサッパリして、クセがなかった。妙なものである。イワシやサバなどの、いわゆる青魚は、生臭さが苦手だ、と、云う人がいるらしいが、わたいはついぞ、生臭さを感じたことがない。むしろ幼い頃、肉の生臭さに辟易して、以来中学二年になるまで、肉の入っている献立は、ハンバーグとコロッケ以外、食べられなかった。どうやら幼にして人とは一風、変っていたらしい。人とおなじと云うことは、べつにその人が居なくても、いくらでも代替が利く、と、云うことであるから、人とは違うほうが好ましい。個性や自我が喪失したり埋没したりすると云うことは、事実上抹殺されることである。それを好んできたのが、日本人の社会風土なのだから、いよいよ日本人と云うのも、変った国民である。こんな変りかたでも、世界規模から見れば、それはそれでまた、なんらかの価値があるのかもしれない。そんな価値など、わたいはタダでも要らないが。

チキンラーメン誕生の日/即席ラーメン記念日の日のひとりめし

2020.08.25-1-2朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は〝チキンラーメン誕生の日/即席ラーメン記念日〟なのだそうである。
Wikipediaによると、〝1958年8月25日に、日清食品が世界初の即席ラーメンである「チキンラーメン」の発売を開始したことに由来し、日清食品が制定〟したのだそうである。
『まんぷく』だったか、『はらぺこ』だったかは忘れたが、この〝世界初の即席ラーメン〟誕生にまつわる夫婦愛や友情を描いた某国放送協会製作の連続TV小説が好評を博したことは記憶に新しい。
チキンラーメンには申し訳ないが、わたいは出前一丁がヒイキだった。偏食の烈しかった小学生時代のわたいの数少ない大好物のひとつが、出前一丁だった。
チキンラーメンを食したのは、二十歳を超えてからである。なるほど手軽で、味も悪くはなかった。これが世界初の即席ラーメンであるとしたら、なるほど、開発した人は余程の才人であろう、と、鼓を打った舌を捲いたものである。
ちなみに、即席ラーメンが一挙に世に知られたのは、これもよく知られた都市伝説によると、1972年(昭和47年)に発生した、いわゆるあさま山荘事件において、で、ある。このとき籠城犯人たちを包囲する警察官たちが食していたのが、日清のカップヌードルだった。厳冬極寒の山中で、湯気の立つ温かい食べ物が食べられる、と、云うことで、またそれが全国TV中継され、最高視聴率47.数%を記録したことで、一気にその存在を認知された、と、云うことである。

2020.08.25-2-2昼(弁当):麦飯(茄子の辛子漬け)、鰯の生姜煮、小松菜のわさび和え、茄子とゴーヤとピーマンの佃煮風

今回の鰯は、大ぶりなところにもってきて、数もそこそこあった。結構なことである。味は若干、落ちる、と、云うか、昨年のにくらべて、身が引き締まっていないような気がしないでもない。気のせいか、あるいはまだ時季が早いせいかもしれない。そうあって欲しい。なにしろ、今年は去年にもまして、さんまが不漁らしい。さんまが不良なのは昔からよく知っているが、さんまが不漁なのは困る。不漁と云うことは、購買価格が上昇する、と、云うことである。購買価格の上昇は家計に甚大なる影響を及ぼす。さんまは鰯とともに、廉価、栄養豊富、美味、料理し易い、と、三拍子も四拍子も揃った優良食材なのである。それが高価になるのは困るのである。せめて鰯だけでも、廉価のまま据え置いてもらいたいものである。
茄子とゴーヤとピーマンの佃煮風は、今回は失敗だったようである。味もあまりそれらしい味わい風味が感ぜられない。おまけに煮詰めすぎて、嵩も激減してしまった。こうなると、もう一品の野菜系献立を料理り忘れたのが痛恨である。野菜の摂取量が減ってしまったこともそうであるが、これでは副菜が週末まで持つかどうか、怪しくなってくる。あまるのも困りものだが、足りなくなるのも困る。ヘタすると、近所のスーパーで、出来合いの総菜を買ってこなければならなくなる。まあ、たまにはそれも、好いかも知れないが……。

2020.08.25-3-2晩:玉子麦飯、揚げないミンチカツ(3個)、小松菜のわさび和え、木綿奴、納豆、味付海苔

関東ではメンチカツ、関西ではミンチカツ、と、発音し、表記する。一説によると、メンチ、と、云う言葉は、関西では、睨み付ける、と、云う意味に通じるので、避けたのだそうだが、俗説だろう。
現に素材となる合挽肉は、日本国中、ミンチ、で、通じるはずである。ミンチを揚げて料理ったカツだから、ミンチカツのほうが正しい。
それをメンチカツ、などと云うのは、広いを白いと云い、ヒドイをシドイなどと云う類だろう。
揚げないミンチカツ、とは云い条、しっかり揚がっているようだ。しかも、教則本(?)に従って、小判型に形成したつもりなのに、しっかり俵型に出来上がってしまった。もともと俵型のほうに馴染みが深く、小判型は変形、店頭などに並べる際に、より多く並べられるところから派生した、惣菜用の形、と、思い込んでいるわたいのことであるから、俵型に料理るのが好ましかったのだが、それでは多量の揚げ油を要するであろうし、参考にした教則本も、小判型に形成するよう書いてあったので、それに従ったつもりなのだが、結果として、俵型になってしまった。〝揚げない〟はずなのにしっかり揚がったことと云い、小判型に仕上げるつもりが俵型に仕上がったことと云い、嬉しい誤算である。
幼少時から不器用を以て鳴っているのだが、こう云う不器用さなら、大歓迎である

総理大臣連続在職日数記録更新の日のひとりめし

2020.08.24-1-2朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(3個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

本日24日を以て、安倍晋三総理大臣の連続在職日数が2799日となり、それまで佐藤栄作氏が保持しており、“前人未到”、“おそらく今後も破られることはあるまい”と云われていた総理大臣の最長在任記録を塗り替えた。
佐藤栄作氏と云えば、安倍晋三氏の祖父の弟、つまり大叔父である。安倍総理は、歴代三位の連続政権保持者である吉田茂氏とも縁戚関係にある。面白い因縁である。
ちなみに、通算しての総理大臣在職日数記録を保持していたのは、明治・大正期の桂太郎氏である。陸軍軍人で、長州閥の申し子、と、云われた人である。
佐藤栄作氏も、安倍晋三氏も、長州閥の流れを汲む政治家であることは、みなさんよくご存知のことであろう。こうしてみると、長州と云うところは、よほど政治上の人材に恵まれているとみえる。少なくとも、その権力欲の強さについては。そう云えば、一番多くの総理大臣を輩出しているのが、長州、現在の山口県である。伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、そして安倍晋三、と、実に8人である。この点でも、第一位である。
それにしても、先述したように、佐藤栄作氏がその長期政権を誇ったとき、その記録は“おそらく今後も破られることはあるまい”などと云われたものである。それが破られたのである。長生きも芸のうち、と、云うから、なるほど、これは、リッパな記録である。
安倍総理がこの新記録を樹立するに際しての最大の貢献者は、なんと云っても、立憲民主党ならびに国民民主党のみなさんであろう。この日本憲政史上、最も無力無能な雑魚集団なくして、この新記録は成し得なかっただろう。K明党やK産党は論外である。
佐藤栄作氏は、“栄作ではなく無策”などと揶揄されながら、沖縄返還を成し遂げた。吉田茂氏は対日講和条約を締結した。安倍総理は……これからなにかやるだろうか?


2020.08.24-2-2昼(弁当):麦飯(茄子の辛子漬け)、豚肉としめじのすき煮、小松菜のわさび和え、茄子とゴーヤとピーマンの佃煮風

茄子とゴーヤとピーマンの佃煮風は、それぞれ単品で佃煮にし得るものを、三品いっぺんにまとめたものである。いくら佃煮風とは云っても、煮詰めればいい、と、云うものではないようである。味はともかく、三つの食材がトロトロになって、ピーマンなどは果肉がほとんどなくなって、食物繊維だけになってしまったような感じである。なにごとも、過ぎたるは猶及ばざるが如し、で、ある。
豚肉としめじのすき煮は、先週分の残りである。土日で消費しようと思ったが、かなわなかった。まあ献立が〝すき煮〟すなわち〝すき焼き風煮物〟であるので、このほうが味が滲みてよかろう、と、言い訳しておく。
トッピングは、懸念していたみそかつおにんにくがやっとなくなった。ずいぶん長いこと保ったものである。捨てずにすんで、やれやれである。茄子の辛子漬けは、母者のお手製である。先日来てくれたときに、持ってきてくれたものである。ピリリとした味で御飯が進む。これだけで、茶碗三杯は食べられる。と、云うことは、丼一杯はいける、と、云うことである。日本の漬物は長期の保存が利き、少量で食欲を刺激してくれるから重宝である。

2020.08.24-3-1晩:玉子麦飯、鰯の生姜煮、小松菜のわさび和え、木綿奴、納豆、味付海苔

一品少ないのは、食卓に上せるのを忘れたのではない。計算を間違えて、もう一品料理るのを忘れてしまったのである。本来なら、野菜の酢漬けを料理るつもりだった。それをすっかり勘違いしてしまったのである。体温を超越する連日の猛暑のせいであって、決して齢のせいではない……と、思いたい。
それにしても、今年の夏の暑さは異常である、と、毎夏、云っている。あと十年もしないうちに、日本もアツアツ亜熱帯に区分されるだろう。樺太あたりからシベリア方面が温帯地域になるのではなかろうか。いまのうちにロシア語をおぼえて、亡命の準備でもしておくか。
閑話休題。鰯が一匹だけだが、ごらんのように、一匹だけでも、かなり大ぶりである。鰯なのに〝大ブリ〟とはこれいかに、などと、問答ができそうである。秋に食べても〝summer(さんま)〟と云うが如し、と、云うところか。
下手な問答はさておき、魚を供するときは、客(食する人)から見て、背を向こう側に、腹を客(食する人)の側にして出すのが決まりである。これを逆にするのは、客(食する人)が食後に切腹する場合である。なるほど、切腹前に、腹の切れたところを目にするのは、いかにそれが魚とは云っても、気持ちの好いものではあるまい。だからそんな際だけは、客(食する人)から見て、腹を向こう側に、背を客(食する人)の側に向けて出すのである。
これを間違えると、
――俺に切腹しろと云うのか!
と、怒鳴りつけられても、文句は云えない。
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