2020.01.27-1-1朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は〝求婚の日〟なのだそうである。

Wikipediaによると、〝明治16年のこの日、中尾勝三郎という人物が生涯の伴侶を求めるため、新聞に求婚広告を出した。これが日本の新聞紙史上初めての求婚広告ということで、求婚の日として制定〟されたのだそうである。

初婚年齢、生涯未婚率の上昇が危惧されるようになって久しい。

わたいも及ばずながら、その上昇に貢献している。

そんなわけで、個人としては大きなお世話のような気がしないでもない。しかし、医療や年金などの国民厚生を担っている真面目な人たちの身になってみれば、由々しき問題であろう。

近頃では婚活などと称するようであるが、似たようなことはかなり以前からあったのであろう。

それにしても、〝生涯の伴侶〟と云う記述が面白い。今日び結婚相手を〝生涯の伴侶〟などと、呼ぶことはあっても、それはあくまで慣習、儀礼、建前であって、結婚する相手が果たして〝生涯の伴侶〟たりうるかどうかなぞ、周囲はもとより、当人同士だって、疑問に思っていることだろう。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

初婚年齢や生涯未婚率が上昇しようがすまいが、婚活が流行ろうが流行るまいが、結婚相手が生涯の伴侶であろうがなかろうが、そんなこととは一切全く金輪際縁のない、いつもながらの献立である。

2020.01.27-2-2昼(弁当):麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、揚げないアジフライ、ほうれん草と白菜の胡麻和え、かぼちゃの煮物

ご覧のとおり、まったくの失敗作である。こんなことはここ数年来、いや、料理をはじめてからおよそ初めてのことではなかろうか。

最初期───味噌汁を料理るのに、味噌を入れてから大根や人参などの具材を入れていた頃───に、魚の二枚おろし、三枚おろしをやろうとして大失敗したとき以来である。

そもそもの原因は、アジをイワシと同列に見ていたことである。アジもイワシと同じく、捌きやすいだろう、と、思い込んだのが、そもそもの間違いだった。

イワシは頭さえ落とせば、指で簡単に腹を裂いて内臓を取り出せるが、アジはそうはいかなかった。案外骨が硬くて、切るのに往生した。内臓も取り出しにくい。

まず、〝ぜいご〟なるものを処理するのが大変だった。これは尾の付け根にある硬いギザギザ様の部分で、これをそぎ取るのがまず大変だった。

次に、腹を裂くのが、これまた簡単にはいかない。なんとか切腹させても、イワシのように、指で内臓を掻き出す、と、云うわけにはいかない。

なにからなにまで大変であった。

結論として───アジは自分では調理しないこと。するのならば、切身を買ってくるに如くはなし、で、ある。

2020.01.27-3-2晩:玉子麦飯、即席みそ汁(豆腐、乾燥わかめ、とろろ昆布)、揚げないアジフライ、ほうれん草と白菜の胡麻和え、ロール白菜のトマト煮、ぬた、木綿奴、納豆、味付海苔

そんなわけで、失敗した献立は早く消費するに限る。とりわけ生物系の献立は、自分の未熟な技倆で折角の生命を無駄にした怨みを突きつけられるようで、長く置いておきたくないのである。

魚にしても、命を断たれて他種の食物となるよりも、自由闊達に海や川のなかを泳ぎ回っていたかったろう。

それを釣り上げられ、命を奪われ、それでも、美味い、滋養になる、と、よろこばれ、生存存続の役に立つのであれば、まだしも以て瞑することもできるであろうが、死後にまでこのような無慙な姿をさらさねばならぬとあっては、それこそ死んでも死にきれまい。一日一刻も早く消費し奉るのが、供養と云うものである。

ぬたは先週の残り物である。土日で消費しようと思いながら、その都度キッチリ忘れていたのである。

そもそも金曜の夜と土日は、外食もしくは弁当などで済ます習慣である。近頃外出するのが億劫になり、手軽に済ますようになったけれども、習慣とは恐ろしいもので、そんなときに冷蔵庫を開けても、残り物は目に入らないと見える。まあ酢味噌で和えたものだし、暖冬とは云え冬場のことだし、そうそう慌てて片付ける必要もあるまい。