2020.10.21-1-2朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

1600年の今日(慶長5年9月15日)、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)を主戦場として、関ヶ原の戦いが行われた。この戦いは石田三成を事実上の将とする西軍と、徳川家康率いる東軍が激突し、天下分け目の戦い、と、称された。
西軍は事実上、豊臣軍なのだが、豊臣家の当主秀頼は大坂城から一歩も出ず、一説によると、鎧兜に身を固め、馬上凛々しく出馬せんとしたものの、門のところで引き返し、城中に籠ってしまった、とのことである。西軍の名目上の将は、毛利家の世継である輝元がつとめた。
この合戦で敗北を喫したため、それまで中国10ヶ国の太守であった毛利家は、防長二州に押し込められ、その恨みは遠く幕末の長州戦争から戊辰の役まで続くのである。
天下分け目の合戦、と、呼ばれたにもかかわらず、勝敗は呆気なく1日で帰趨が定まり、西軍方の石田三成、小西行長、安国寺恵瓊は斬首された。
勝敗は呆気なく1日で帰趨が定まり、と、記したが、そのわりには興味ぶかい逸話が多い。いずれMacがものするだろう。いつのことになるかは分からないが……。
そんなわけで、ここにはひとつだけ、興味ぶかい逸話を記しておこう。
明治維新政府は、軍備充実のために、プロシア・ドイツからモルトケの愛弟子と呼ばれたメッケルを招聘したが、このメッケルが或る日、関ケ原合戦の布陣を一瞥して曰く、
――西軍の勝利!
と、喝破(?)したことは有名である。
念のため云っておくが、メッケルはプロシア・ドイツ政府が手放すのを惜しがったほど、優秀な参謀だった。

2020.10.21-2-2昼(弁当):麦飯(しょうゆ豆)、揚げない鶏の唐揚げ、小松菜のわさび和え、かぼちゃの煮物

捲土重来、汚名挽回、と、云うわけで、揚げない鶏の唐揚げを料理ったが、どうやら、恥の上塗り、と、まではいかずにすんだものの、どうも、うまくいかないようだ。
不味いわけではないが、さりとて、予期したほど美味くもない。どう云うわけだろう。ひょっとすると、揚げる温度が低すぎたのかも知れない。なかなか難しいものである。これなら煮物のほうが、よっぽど簡単である。もっとも、煮物も最初は上手くいかず、だいぶに愚痴っていたのだから、これも馴れかも知れない。
かぼちゃの煮物は上手くいったが、無理無理つめこんだので、形が崩れて、タッパに付着して無駄にしたところが多くなってしまった。勿体ないことである。
小松菜のわさび和えはシャキシャキして、なかなか美味である。ただ若干水っぽいのは、焦ってて、よく絞っていなかったせいかも知れない。急いては事を仕損じる、で、ある。仕方がない。ボチボチ馴れていくこととしよう。

2020.10.21-3-1晩:玉子麦飯(しょうゆ豆)、即席みそ汁(わかめ、とろろ昆布)、揚げない鶏の唐揚げ、小松菜のわさび和え、かぼちゃの煮物、絹奴、納豆、味付海苔

献立が昼の弁当と被ってしまったのは、鶏のむね肉を約1kg、かぼちゃも1/4個を2個、買ってきたからである。いくら足りないよりはいい、とは云っても、少々買い過ぎたようだ。
と、云うのも、先週はかぼちゃが少なく、5食分しかできなかったからである。9食分ないと、一週間分が賄えないのである。
鶏の唐揚げは大好物なので、少々多くなっても食べるだろう、と、たかをくくってしまったのである。その他に、揚げない鶏の鶏皮揚げや、玉葱の炒めものも料理った。鶏肉の下味付けに、細切りにした玉葱を使用するのである。他に、酒、薄口醤油、チューヴのにんにく、チューヴの生姜、塩コショウを揉み込んだのは、いつも通りである。それに小麦粉をまぶすのであるが、小麦粉をまぶしすぎたのか、あるいは午の記事でも記したように、揚げる温度が低すぎたのか、どうもイマイチ、出来がよろしくない。もちろん、食べられないほどではないが、以前一度上手くいったときに較べれば、どうも物足りない。やはり修練を重ねなくてはならないようである。なんでも一朝一夕にはいかないものだ。