ろ~りぃの食卓

二十代の初め頃、「キャベツの千切りって、どうやるんだ?」と、訊いて呆れられ、みそ汁を料理るときに、具材よりも先に味噌を入れて蔑笑われた男でも、これぐらいの料理ならできる! と、云う、見本です。 料理が下手と云われて落ち込んであるあなた! 自分は料理なんてできないんだ、と、諦めてるあなた! このブログで自信をつけてください! わたいができることならば、だれでもできる! あなたにだって、きっとできる!

2018年(平成30年)10月

陶彩の日のひとりめし

2018.10.31-1-1朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、フルーツミックス・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は“陶彩の日 ”である。

Wikipediaによると、“色鮮やかな日本の自然の中、豊かな食卓を「器(うつわ)」で彩りよく演出し、より美味しく食べて欲しいとの「陶(すえ)」永く、「彩」り溢れる食卓をという願いを込めて、日本陶彩株式会社が制定”したものだそうである。“日付は10と31で「陶 (10) 彩 (31) 」と読む語呂合わせから”だそうである。まぁ、大方そうだろうとは思ったが……と、云うことは、わりとまともな語呂合わせだ、と、云うことである。

たしかに、食器が料理の見栄えを引き立て、食欲をそそるとともに、味わいをも豊かにするのは、日本料理ならではの心遣いであろう。

日本料理は、器どころか、それを食する部屋や、庭園などの景色までも取り入れて、食事のひとときを演出する。

可能な限りのあらゆるものを取り入れて“美”を創造し、やすらぎとくつろぎの時空間を創出して客人をもてなそうとする日本人の心根、おもいやりが現象している。世界に誇る日本の伝統、日本人の心性である。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

日本の伝統とも、日本人の心性ともまるで無縁な、いたって殺風景な献立である。

2018.10.31-2-3昼(弁当):麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、サンマの塩焼き、小松菜と厚揚げの煮浸し

不思議なもので、魚肉よりも獣肉のほうが腹持ちが良く、満腹感があるように思うが、そうでもない。少なくともわたいは、魚肉のほうが腹応えがあるように感じる。

栄養素から見ても、牛肉や豚肉のほうが魚肉よりも優れているように思うが、じつは魚肉の方が上だと云うから驚く。これはもちろん、わたいがじかに確かめた結果ではなく、わたいの私淑する川島四郎先生が実験なされた結果を鵜呑みにしているのである。

先生によると、魚肉のほうが、含有するミネラル類が優れていたのだそうである。海中には多くのミネラル分が含まれており、それが影響しているのだろう、と、云うことである。なるほど、と、素直なわたいは、納得したものである。また、空気中を動いているよりも、常時海中を動いている方が、肉の発達具合もよかろう、と、単純に考えている。

なんにせよ、獣肉よりも、魚肉のほうが好きであるので、その利点を理屈付けて、自己納得しているだけのような気がしないでもない。

2018.10.31-3-3晩:玉子麦飯、味噌汁(大根、人参、玉葱、キャベツ、白菜、白葱、えのき、ニラ、もやし、貝割、焼麩、薄揚げ、乾燥わかめ)、サンマの塩焼き、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、自家製なめたけ、冷奴、納豆、味付海苔

昨日の晩食で南蛮漬けの素がなくなった。

替って登場したのが、自家製なめたけである。

同日に料理ったので、丸々1週間漬込んでおいたことになる。

思ったより少量であった。これなら2株(400g)でもよかったかもしれない。

それにしても、我ながら、食べ過ぎの感がしないでもない。品数を減らすわけにはいかないので、一品一品の量を減らすしかないのだが、これがなかなか難しい。

店頭に並んでいるときや、調理しているときなどは如何にも少量に見えてしまうのである。

────足りなくなるよりは、余るほうがましだろう。

と、思って買うのだから、よくよくビンボー症である。

それでいてよく考えると、

────足りなくなったら、近所のスーパーの惣菜でいいんじゃないか。

と、思い直すのだから、定見のないこと、おびただしい。

香りの記念日の日のひとりめし

2018.10.30-1-3朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、フルーツミックス・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は“香りの記念日”だそうである。

Wikipediaによると、“1992年のこの日、石川県七尾市で第7回国民文化祭「世界香りのフェアIN能登」が開催され、それを記念し制定”されたのだそうである。

香りと云えば、“アロマ”だの、“癒し”だのと、その効果が喧伝されて久しい。

実際、大自然の香り──森林の中や清流の川べりなどで感じられる香りには、心身の疲労を除去し、日々の塵労を洗い清めてくれるような効果がある。

花々の芳香はしあわせな気分をもたらし、台所から漂ってくる夕餉の匂いは食欲をそそる。

先日部屋のカーテンを洗濯したが、その後風と共に部屋に満ちる香りは、実にさわやかで心地よいものだった。

一方で、嫌悪感や、場合によっては、殺意すら催させるような臭いもある。

腋臭体臭などは本人は気づいていないことが多く、如何ともしがたいものがあろうからやむを得ない面があるにしても、煙草や酒の臭い、そして香水の臭いなどは、嫌がらせとしか思えない場合もある。

いわゆる“スメハラ”などと云う言葉さえ生じている。当人にとっては心地よい匂いも、他人にはいたたまれない臭いに感じられるのだから、厄介と云えば、厄介である。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

香りとも匂いとも、臭いとも“スメハラ”とも、まったく縁のない、いたって穏やかな献立である。

2018.10.30-2-2昼(弁当):麦飯(わさび昆布)、サンマの塩焼き、小松菜と厚揚げの煮浸し

サンマを丸ごと、頭から尻尾まで、骨や内臓も、すべて食べる、と、云うと、たいてい驚かれる。感心される場合も、わずかながらにある。

たいていの魚は、骨まで食べる。身をほぐす手間が省けるからである。それに、骨自体にも、カルシウムをはじめ、さまざまな栄養素が含有されている、と、信じている。小魚などは、栄養面からしても、丸ごと食すべきである。もっとも、サンマを小魚とは云いがたいであろうが。

カルシウムの含有量では、小松菜も負けてはいない。そのカルシウムの消化吸収定着を効果あらしめるために、しめじも一緒に入れてある。厚揚げを入れているのが、ビタミンAを効率よく摂取するためであることは、これまでにも度々述べてきたところである。

これでも一応、健康面のことも考えてはいるのである。だからと云って、禁煙する気はさらさらないが。

2018.10.30-3-1晩:玉子麦飯、味噌汁(大根、人参、キャベツ、玉葱、白菜、白葱、えのき、ニラ、もやし、貝割、焼麩、うすあげ、乾燥わかめ)、サンマの塩焼き、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、南蛮漬けの素、冷奴、納豆、味付海苔

今回はカボチャを2個買ってきた。1/2個×2個だから、正味1個分、と、云うことになろうか。

1/2個で128円(税抜)だった。その前はたしか1/2個で98円(税抜)だった。30円の差はデカい。まさか、ハロウィンが近いから値上げした、と、云うわけでもなかろう。

なんか去年より、値段が上がっているような気がする。気のせいかも知れない。なにしろ、今年、と、云うか、今期はまだ料理り始めたばかりなのだから。

しかし、味は確実に、去年より落ちているようである。最初は自分の味付けのカンが戻っていないためか、とも思ったが、どうやら素材のカボチャそのものに原因があったようだ。おそらく今年の異常気象で、出来が悪くなってしまったのだろう。それならば、誰をも恨むことはできない。生態系や自然の循環体系を崩しまくり、その結果として、異常気象を招来せしめたのは、他のたれでもない、わたいたち「人間」なのだから。

おしぼりの日のひとりめし

2018.10.29-1-3朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、フルーツミックス・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は”おしぼりの日”である。

Wikipediaによると、“10月はten=手の語呂合せと10本の指から、29日は「ふ(2)く(9)」の語呂合せで、全体で「手を拭く」の意味”から、“全国おしぼり協同組合連合会が2004年に制定”したのだそうである。

なるほど、まだましな語呂合わせであろう。それにしても今更ながら思うのは、ナントカ協会だの、カントカ連合会だの、ドレソレ委員会だの、なんなと組織があるものである。

おしぼりと云えば、むかしは、夏ならばつめたく冷やした、冬ならばあたたかく温めたタオル様のものがほとんどだったが、最近では紙製のものに取って代わられた感がある。

と、思っていたら、いわゆる環境への配慮から、紙製のおしぼりが敬遠され、昔ながらのタオル様のものが見直されているらしい。けっこうなことである。

ところで、そもそもおしぼりとは、「お公家さんが客人を家に招く際に提供した、“濡れた布”」がその前身であり、それが「江戸時代になると木綿の手ぬぐいが普及し、旅籠(はたご)と呼ばれた宿屋の玄関に、旅人のために水を張った桶と手ぬぐいが用意されるようなり、客は手ぬぐいを桶の水に浸してしぼり、汚れた手や足をぬぐった。この“しぼる”という行為が、おしぼりの語源になっていると言われている」のだそうである(Wikipediaより)。

これぞまさに、日本が世界に誇る「おもてなし」の心である。「おもてなし」と云う言葉も、どこぞの軽薄女史が軽薄なプレゼンで軽薄な使い方をして以来、すっかり値打ちが下落してしまったが、本来は相手に愉しい時間を過ごしてもらおうとする、相手を思いやる心意気である。日本が世界に誇る文化であり、心性であり、伝統である。

「日本発祥のおしぼりは、今や全世界に広がりつつある」とのことである(Wikipediaより)。よろこばしいことである。

相手を思いやる、と、云う、日本の伝統、文化、心性の根幹が、全世界に称賛され、受け入れられていることを示す証である。 

このような文化、心性、伝統は、末代までも続いてほしいものである。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

おしぼりとも、おもてなしとも、まったく縁のない、いたって侘しい献立である。

2018.10.29-2-3昼(弁当):麦飯(ピリ辛高菜昆布)、サンマの塩焼き、小松菜と厚揚げの煮浸し

たいがい毎土曜日に、次の日のお菜となる食材の買出しに行くのだが、今回もサンマが3尾=200円(税抜)だった。ただし、先週あった5尾=300円(税抜)のはなかった。まぁどちらにしろ、3尾×2袋買ってきた。これで6食分である。他に真いわしが200円(税抜)だったので、久しぶりに、生姜煮にすることにした。これが3食分できた。魚ばかり、しかも近々稀に見る廉価で調達できたのはありがたい。

サンマはさすがに旬のものとあって、脂がよくのっていて、まことに美味である。油など使わずに、ただふつうに、フライパンに専用アルミシートを敷いて焼いただけなのに、まるで焼肉か野菜炒めを食べた後のようにくちびるが油っぽくなる。今年のサンマは一味ちがう! と、云っても、ここ数年サンマなど食べてなかったから、較べようもないのだが……。


2018.10.29-3-1

晩:玉子麦飯、味噌汁(大根、人参、キャベツ、玉葱、白菜、白葱、えのき、ニラ、もやし、貝割、焼麩、薄揚げ、乾燥わかめ)、サンマの塩焼き、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、南蛮漬けの素、冷奴、納豆、味付海苔

どうにもサンマの塩焼きに塩を付けすぎている感が否めない。味が薄いよりはいいかもしれないが、それにしても塩辛すぎる。ただ前回よりはマシになっているので、次回はもっと薄塩味(?)になるだろう。

昼食(弁当)のところでも記したが、この時期のサンマは、やはり脂が乗りきっていて、まことに美味である。そのサンマを、ビタクラフトのフライパンで焼いている。おかげで、骨や内臓はおろか、頭も尻尾も食べられる。わたいにかかるとたいがいの魚は、、文字どおり、跡形もなくなるのである。

サンマの塩焼きが濃かったのに比して、小松菜と厚揚げの煮浸しは、現在までで一番、薄味になってしまった。薄味になった、と、云うより、ほとんど味が感じられないくらいである。醤油をかけたほうがいいかな、とも思ったが、サンマが塩辛いうえ、玉子麦飯にも醤油をかけているので、止めることにした。ただでさえ糖質が多そうな献立であるのに、このうえ塩分まで過多になっては堪らない。糖尿病も高血圧も、わたいはごめんである。もう遅いかも知れないが……。

篠沢教授の御命日の日のひとりめし

2018.10.26-1-3朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、みかんヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

絶対確実に行くときは、「はらたいらに三千点!」

一か八かの大冒険に踏み切るときは、「篠沢教授に全部!」

と、云うのが、小学校の頃の常識だった。

おそらく、日本国中のみんなが、そうだったろうと思う。

そして、篠沢氏ほど、全国民に愛された大学教授はいなかっただろうし、これからも現れないだろう。

頭はいいのかも知れないが、堅苦しく、厳めしく、近寄りがたい人物、と、云う、大学教授のイメージを、根底からガラリと覆し、大学教授を、親しみやすい、身近な人物像として広く世間に知らしめたのは、篠沢氏の功績である。

Wikipediaによれば、その考えは、わたいと対極をなすものであり、相容れないものであろうと思われるが、そのお人柄は、紛れもなく、愛らしく、親しみを感じるものであった。勘ぐれば、ご専門のフランス語、フランス文学のこと以外には、大した興味も関心もなく、ゆえに浅薄皮相な感情論に流されやすかったのかもしれない。その後専門に取り組まれる姿勢も、峻厳な研究者、と、云うよりは、面白い遊びに熱中する子供のような姿勢だったのではなかろうか、と、思われる、そんな印象のかただった。

もっともそれも、計算された、いわゆる“TVマジック”、“営業スマイル”だったのかもしれないが。

ともあれ、篠沢教授の御冥福を祈りつつ、今日(じゅ)の朝食を(はら)平らげよう。

2018.10.26-2-3昼(弁当):麦飯(海苔と野菜のふりかけ)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5本)、小松菜のお浸し

小松菜のお浸しは、以前に冷凍保存して置いたものである。1食分のタッパ一杯に詰めて冷凍して置いても、電子レンジで解凍すると、1/3程に減ってしまう。それだけ多量に食することが出来るわけだ。換言すれば、生で食すると、多量に摂取しているようでも、実はそれほどでもない、と、云うことになる。洋風の生野菜サラダも結構だが、わたいとしては、和風のお浸しや煮浸しなどを良しとする所以である。

ウインナーはいままでのが、1本を残してなくなったので、昨日新たに買ってきた。チキン&ポークのウインナーである。素材のためか、冷めても美味しいように感じる。気のせいかも知れないが……。

さて、来週であるが、来週も今週と同じく、魚肉中心の献立となりそうである。精確に云えば、サンマ中心の献立である。あれだけ美味しく、あれだけ栄養に恵まれた食材が、あれだけ廉価で手に入るのだから、豈是重宝せざるべけんや、で、ある。

今週末は、少なくとも日中は好天気になりそうである。

天気の替りやすい秋の空、みなさまがたには、愉しい週末をお過ごしくださいますように!

また来週、お会いいたしましょう(^_^)/

産業観光の日のひとりめし

2018.10.25-1-2朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、みかんヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は“産業観光の日”だそうである。

Wikipediaによると、“2001年のこの日に名古屋で産業観光サミットが開催されたことを記念”して、“名古屋商工会議所文化委員会が制定”したのだそうである。

なんにでもかんにでも“サミット”があるのは措くとして、「産業観光」とはいったいなんなのであろうか。これまたWikipediaによると、“歴史的・文化的に価値ある工場や機械などの産業文化財や産業製品を通じて、ものづくりの心にふれることを目的とした観光をいう”のだそうである。

要は産業歴史遺産や工場見学、ものづくり体験などを中心とした観光のことなのだろう。

哲やんやMacによると、アダム・スミスはその名著『国富論(諸国民の富)』のなかで、産業が衰退すると、国家はその主要な収入源のひとつとして、観光に力を入れ始める、と、云う意味のことが書いてあるそうである。なるほど、東洋の某島国の現状そのままである。さすがは経済学の父、と、呼ばれるだけのことはある。

そう云えば、万博こと、万国博覧会も、別に産業を対象に限っているわけではないが、ほとんど、その感が強い。

大阪府市がしきりと万博誘致に力を入れているが、はてさてどうなることやら……。万博による経済効果を云々しているが、大阪都になった場合の経済効果試算にも多くの疑問が呈されている。果たして府市のもくろむとおり、バラ色の経済効果が上がるのだろうか。大いに疑問である。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

産業の盛衰とも万博の経済効果とも、まったく縁のない、いたって非生産な献立である。

2018.10.25-3-1晩:玉子麦飯、味噌汁(大根、人参、玉葱、キャベツ、白菜、長葱、えのき、ニラ、もやし、貝割、焼麩、うすあげ、乾燥わかめ)、さわらの味噌漬け焼き、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、南蛮漬けの素、冷奴、納豆、味付海苔

昼(弁当)の記載がないのは、外食だったからである。

昼食の外食など、久しぶりである。夏の外回りのとき以来ではなかろうか。

仕事場でお世話になっているアルバイトの方が、今月一杯でお辞めになる、と、云うので、感謝と慰労を兼ねて、みなでランチに出かけたのである。モダン焼きなど、久しぶりに食した。

で、晩食は相変わらずの固定献立である。

南蛮漬けは、揚げた魚肉でないといけないと思っていたが、焼魚でも十分可能であると聞いた。揚げ焼きにした魚でもいいようである。

これはありがたい。料理の応用範囲が広がる、と、云うものである。

今回で、すべての作り置きお菜がなくなった。もっとも、南蛮漬けの素だけは別である。これは来週の分くらいまでありそうである。少ない材料で大量に料理れて、健康に良くて、しかも日持ちがする、と、いいことづくめである。これからも料理り続けていくであろう献立である。

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