ろ~りぃの食卓

二十代の初め頃、「キャベツの千切りって、どうやるんだ?」と、訊いて呆れられ、みそ汁を料理るときに、具材よりも先に味噌を入れて蔑笑われた男でも、これぐらいの料理ならできる! と、云う、見本です。 料理が下手と云われて落ち込んであるあなた! 自分は料理なんてできないんだ、と、諦めてるあなた! このブログで自信をつけてください! わたいができることならば、だれでもできる! あなたにだって、きっとできる!

2019年(平成31年)3月

コカ・コーラ初製造の日のひとりめし

2019.03.29-1-2朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

コカ・コーラ、と、云えば、わたいたちの世代、あるいはわたいたちより上の世代にとっては、ジーンズと同じく、アメリカ合衆国の象徴であり、アメリカ合衆国と云えばコカ・コーラ、アメリカ合衆国と云えばジーンズ、で、あった。

そのコカ・コーラが初めて製造されたのが、1886年の今日である。

製造者は、アトランタの薬剤師ジョン・ペンバートンである。

薬剤師が製造者、と、云うのも意外だが、当初コカ・コーラは、炭酸飲料水、嗜好品、と、してではなく、飲用薬品として使用されていたのである。

当時のコカ・コーラには、その名のとおり、コカの成分、コカインが含まれていた。Wikipediaによると、当時「ストリートで売られているコカインが15-35mgだったのに対して、コカ・コーラのオリジナルのレシピでは8.46mgのコカインを含むと言われている。しかし、コカの葉の効果は、コーラの実に含まれるカフェインによってかなり中和される」そうである。

現在のコカ・コーラには、もちろん、コカインは含まれていない。念のため。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

コカ・コーラが嗜好品であろうが、薬品であろうが、コカインが含まれていようがいまいが、そんなこととは一切関係のない、平凡そのものの、いたって健康的な献立である。

2019.03.29-2-2昼(弁当):麦飯(鯨大和煮ふりかけ)、スクランブル・エッグ風、ウインナー(5本)、小松菜のわさび和え

某料理レシピサイトで見かけて、こいつはいいわい、と、思って、さっそく紙カップを買って帰り、今朝方料理ってみたのだが、これをなんと呼ぶのが、残念ながら、失念してしまった。スマホで某料理レシピサイトを調べてみても、なぜか出てこない。やむを得ないので、たんに、「スクランブル・エッグ風」と、表記しておく。

鯨大和煮、と、云うと、頭のネジがいかれた動物愛護団体のメンバーどもが喚き立てそうだが、気にかけることはない。自分の主張は絶対に正しい、と、信じ込んでいるのは、地下鉄サリン事件を引き起こした某宗教団体だけではないのである

鯨の肉を食するのがいけなくて、カンガルーや牛、バッファローやクロコダイル、豚や鶏、等々なら、いいのだろうか。いい、と、云うのなら、理由を知りたいものである。

なんやかやともっともらしい小理屈を捏ねくり回す前に、ネイティヴ・アメリカンやロマ民族、ユダヤ人や多くのアフリカ・アジアの民族を虐殺し、滅亡の淵に追い詰めたのはナニ民族なのか、再考してもらいたいものである。

唯我独尊のレイシストどもこそ、一刻も早く、絶滅していただきたい。

シルクロードの日のひとりめし

2019.03.28-1-1朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は“シルクロードの日”だそうである。

「今日は何の日~毎日が記念日」と云うWebsiteによると、“1900年のこの日、スウェーデンの探検家・地理学者のスウェン・ヘディンによって、廃虚になっていたシルクロードの古代都市・楼蘭が発見された“ことにちなむそうである。

シルクロード、と、云えば、古代中国と古代ローマとを結ぶ、雄渾壮大な交易路、としての印象が強いだろう。

Wikipediaによれば、“中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称”であり、“中国側起点は長安(陝西省西安市)、欧州側起点はシリアのアンティオキアとする説があるが、中国側は洛陽、欧州側はローマと見る説などもある”らしく、“現在の日本でこの言葉が使われるときは、特にローマ帝国と秦・漢帝国、あるいは大唐帝国の時代の東西交易が念頭に置かれることが多い”らしい。

一般に、シルクロード、と、云うと、陸路のみと思われるであろうが、“南北の交易路や海上の交易路をも含める。つまり、北方の「草原の道(ステップロード)」から南方の「海の道(シーロード)」までを含めて「シルクロード」と呼ばれるようになっている”らしい。

現在中国の習近平氏が提唱し、推進している「一帯一路構想」が、シルクロードの現代復活版であることは、云うまでもないだろう。

その成否、生るかならぬかは別にして、雄渾壮大な構想であることには違いない。政治家にせよ、国民にせよ、せせこましい島国の人間の頭脳には、とても浮かばない発想である。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

「一帯一路構想」が成ろうが成るまいが、せせこましい島国根性の政治家や国民たちの頭脳がどうであろうが、そんなことには一切かかわり合いのない、いたって雄渾壮大ならざる、いつもながらの献立である。

2019.03.28-2-1昼(弁当):麦飯(自家製大根の粕漬け)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5本)、菜の花の胡麻和え

菜の花の胡麻和えは、近所のスーパーで買ってきた惣菜である。

今年はあまり菜の花を使わなかったような気がする……と、云う以前に、今年は去年に較べて、意欲が湧かず、やる気が起きず、サボって手を抜くことが多かった、のである。

そうこうしているうちに、菜の花の季節──いわゆる「旬」が、過ぎ去ろうとしている。残念なことである。そのときには、まだまだ日時はある、と、思って、次の機会に、などと考えるのだが、いざその時日が過ぎ去ってしまうと、なんかアッと云う間だった、と、思ってしまうのである。我ながら、浅墓なものである。

2019.03.28-3-1晩:玉子麦飯、即席みそ汁(油揚げ、とろろ昆布、乾燥わかめ)、真アジ大葉フライ、小松菜のわさび和え、自家製大根の粕漬け、冷奴、納豆、味付海苔

真アジ大葉フライは、例によって例の如く、近所のスーパーで買ってきた……ものではないのである、今日の場合は。
駅前の大型スーパーで買ってきたのである。今日は他にもそこで買わなければならないものが多々あって、ついでに、と、云ってはなんだが、そこで今晩の惣菜も買ってきたのである。
先日も記したが、揚げ物フライ物などは、外食時か、こうしてスーパーなどで買ってくるのでなければ食しない。要するに、自分では料理らないのである。
しかしそれでもちょこちょこと、いわゆる「揚げない」揚げ物などには挑戦している。現在のところ、理想の出来には程遠く、食べられないことはない、と、云ったところが上等の部類である。
少しの油でいい、と、書いているのにつられて、油が少なすぎるのかも知れない。あるいは、油が充分に加熱されていない、とか。あり得ることである。
近年はガス・コンロ自体に温度計が設置されてあって、油が現在何℃になっているか、一目瞭然たる品があるそうである。実家のガス・コンロがそうであった。便利なものである。勘と経験に頼り、しきりに失敗を繰り返すことによって体得しようとしているわたいなぞ、ひと昔もふた昔も前の人間だろう。もっとも、それが悪い、とは、思わないが。食材や調味料などを無駄にしない限りは。

利休忌のひとりめし

2019.03.27-1-1朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日と明日は、京都大徳寺において、利休忌が行われる日である。

千利休と云えば、茶道の大成者として、また、「わび・さび」に代表される、枯淡の美意識を広めた人物として有名である。

と、ともに、信長、ついで秀吉、と、云った、いわゆる天下人に近侍し、大いに権勢をふるったことでも有名である。

秀吉に切腹を命じられ、その一生を終えたことは有名であるが、その原因──秀吉はなぜ利休に切腹を命じたのか、その理由は、いまもって謎のままである。

さまざまな原因理由が説かれ、述べられているが、そのなかには、利休があまりにも横柄権柄ずくに振舞うのに、秀吉が堪忍袋の緒を切った、と、云う内容のものも少なくない。

その他、さまざまな逸話や歴史事実から察するに、「わび」の「さび」のと云いながらも、けっこう、裏表のある人物だったようだ。

だから死後、その人柄が、表千家と裏千家に、分離したのだろうか。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

わびともさびとも、権力者の威を借る文化人とも、一切縁のない、ウラもオモテもない、いたって公明正大、清廉潔白な献立である。

2019.03.27-2-1昼(弁当):麦飯(鯨大和煮のふりかけ)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5本)、小松菜のわさび和え

トッピングの鯨大和煮のふりかけは、去年仕事でお世話になったアルバイトのかたに戴いたものである。

昨年3月に仙台の地に赴かれ、そのときは1年後に帰阪する、と、云うことだったので、愉しみにしていたのだが、先日わざわざ仕事場まで訪ねてきてくれて、話をしていると、赴任期間が1年延びた、と、云う。残念無念、落胆ガッカリ……で、ある。

そのときにお土産としていただいたのが、今日のトッピング、鯨大和煮、で、ある。

大坂ではなかなか味わうことのできない、ご当地名産である。

大事に大事に、大いに愉しみつつ、味わっていくつもりである。

2019.03.27-3-1晩:玉子麦飯、即席みそ汁(わかめ、とろろ昆布)、サバ塩焼、ほうれん草とひじきの胡麻和え、自家製大根の粕漬け、冷奴、納豆、味付海苔

サバ塩焼とほうれん草とひじきの胡麻和えは、例によって例の如く、近所のスーパーで買ってきたものである。やはり青菜類が食卓にないと、なにかもの足りない。或る意味、わたいの献立のメイン・ディッシュは、青菜類である。
今晩はサバ塩焼で、これで三日連続焼魚である。昔は、トンカツだの、鶏の唐揚だの、ヒレカツ、すき焼き、等々、揚げ物や獣肉類を欲したものだが、いつ頃よりか、魚肉類の方を好むようになった。やはり年をとった、と、云うことだろうか。
しかし考えてみれば、子どもの頃は、獣肉類よりも魚肉類のほうが大好きだったのだから、別に不思議ではないのかも知れない。獣肉類や揚げ物を好んでいたのは、中学生の中頃から、四十代の半ばまでだったような気がする。
かと云って、トンカツや鶏の唐揚が嫌いになった、と、云うわけではない。ここには載せないが、外食時にはよく食べているのだから、要は、料理るのが面倒くさい、あるいは冷めたのを食べる気がしない、と、云うだけのことだろう。

パリ・コミューン誕生の日のひとりめし

2019.03.26-1-2朝:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

1871年(明治4年)の今日、普仏戦争後のフランス・パリにおいて、世界初と云われる、労働者による自治政府が誕生した。いわゆるパリ・コミューンである。

Wikipediaによると、“このパリ・コミューンは約2ヶ月でヴェルサイユ政府軍によって鎮圧されたが、後の社会主義、共産主義の運動に大きな影響を及ぼし、短期間のうちに実行に移された数々の社会民主主義政策は、今日の世界に影響を与えた”そうである。

Macなどは、このパリ・コミューンの歴史上の意義に好意ある評価を与えながらも、

──それだったら、加賀国に約100年間存在した“百姓の持ちたる国”は、どうなるんだろうね。

と、半ば本気で、半ば皮肉に、呟いていたものである。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

労働者による自治政府とも、百姓が支配した国とも、一切縁のない、いたって平和な、夢のない、献立である。

2019.03.26-2-1昼(弁当):麦飯(自家製大根の粕漬け)、玉子焼き(2個)、ウインナー(5本)、ブロッコリの塩昆布和え

麦飯の分量をミスった。いつもは当日の晩食の分と合わせて1合半(米:1合+麦:半合)炊くのだが、今日は、今日と明日の弁当の分(米:1合半+麦:半合)を炊いた。

全体の分量としては間違ってなかったはずなのだが、今日の分と明日の分を分けるときに、明日の分を多めに冷凍保存してしまった。均等に分ける、と、云うのも、意外とむずかしいものである。

今日は例の料理器に油を引いてから料理ってみたが、やはり玉子がこびりつく。どうやら油の有無ではなく、成形するために抑えて置く時間が長すぎるのだろう。今度は少し早目にリリースしてみよう。それでもダメかな?

2019.03.26-3-2晩:玉子麦飯、即席みそ汁(長ねぎ、乾燥わかめ、とろろ昆布)、銀鮭の塩焼き、小松菜のわさび和え、自家製大根の粕漬け、冷奴、納豆、味付海苔

小松菜のわさび和えは、帰宅してから料理ったものである。

湯掻いて水にさらして絞って切って和えるだけ、なのだから、さして時間はかからないはずなのだが、如何せん、気が急いてどうにもならない。我ながら落ち着きのない性格である。それが解っているから、土日に料理り貯めしておこうとするのだが、それがここ数ヶ月、思うように行っていないことは、すでにみなさん、ご存知のとおりである。

とにかくこれで、今週数食分の目処はついた。残り数食、足りない分は、例によって、近所のスーパーで賄うことにする。揚げ物や焼き魚ばかりでなく、ちょっとしたごま和えやお浸しなども、意外と好いのが揃っているので、わたいとしては、まことに調法なのである。

電気記念日の日のひとりめし

2019.03.25-2-1昼(弁当):助六寿司、牛肉コロッケ(3個)、ブロッコリの塩昆布和え

今日は“電気記念日”であるらしい。

Wikipediaによると、“1878年3月25日に、東京・銀座木挽町に開設された中央電信局の開局祝賀会が虎ノ門の工部大学校(現在の東京大学工学部)で開かれ、式場に50個のアーク灯が点灯された。これを記念して日本電気協会が1927年9月に制定”したのだそうだ。

1878年と云えば、明治11年である。当時としては50個のアーク灯の点灯は、かなり盛大かつ豪華な見物だったであろう。

時代は下るが、夏目漱石の『虞美人草』に、1907年(明治40年)に催された東京勧業博覧会の描写があり、その壮麗さに唸ったものだが、おそらくこの中央電信局の開局祝賀会も、壮麗なものだったに違いない。

もっともそのことと、わたいの弁当の中味とには、なんらの関連もない。

電気ともアーク灯とも、祝賀会とも博覧会とも、一切無縁の、いたって侘々寂々たる弁当である。

2019.03.25-3-2晩:助六寿司、即席みそ汁(しじみ、とろろ昆布、乾燥わかめ)、さわらの西京焼き、菠薐草のお浸し、自家製白菜の粕漬け、冷奴、納豆

助六寿司は、日曜に食べようと思って買ってきたものであるが、諸般の理由により、余ってしまったものである。弁当のお菜にした牛肉コロッケも同様である。

惣菜は今日、近所のスーパーで買ってきたものである。つまり、この土日も、料理をしなかった、と、云うわけである。

どうもこのところ、怠け癖が定着してしまってどうしょうもない。困ったものである。やる気がないわけではないのだが、金曜の夜を迎えると、途端に糸が切れたように、ノンベンダラリ、と、なってしまうのである。そして土日になると、まあいいか、と、なって、なにごとをすることもなく過ごしてしまう。もったいないことである。

ただ言い訳すれば、土日にまで気を張って、あれやこれやをこなそうとすると、身体も気持ちも、休まるヒマがない。年をとると、土日の休みが貴重になってくるのである。

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