ろ~りぃの食卓

二十代の初め頃、「キャベツの千切りって、どうやるんだ?」と、訊いて呆れられ、みそ汁を料理るときに、具材よりも先に味噌を入れて蔑笑われた男でも、これぐらいの料理ならできる! と、云う、見本です。 料理が下手と云われて落ち込んであるあなた! 自分は料理なんてできないんだ、と、諦めてるあなた! このブログで自信をつけてください! わたいができることならば、だれでもできる! あなたにだって、きっとできる!

2020年(令和2年)1月

晦日正月・晦日節の日のひとりめし

2020.01.31-1-1朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、トマト・スープ(残り物)

今日は〝晦日正月・晦日節〟である。

Wikipediaによると、〝正月最後の日〟であり、〝この日に、松の内に年始回りをしなかった家を訪ねる地方もある〟のだそうである。

以前にも記したと思うのだが、正月と云うのは1月全部のことであり、三が日や松の内だけが〝正月〟なのではないのである。

また、〝晦日〟と云うのは〝三十日〟であり、すなわち(旧暦における)月の最終日のことである。新暦になって31日も晦日となったわけで、それゆえ12月31日が〝大晦日〟となるのである。

短歌が5・7・5・7・7の31文字であるところから〝みそひともじ〟と呼ばれているように、31日も〝みそひとにち〟と呼んでもよさそうなものであるが、そう云うわけにもいかないらしい。

もっともそのことと、わたいの食卓を飾る献立とには、なんらの関連もない。

正月がいつまでであろうが、晦日が30日であろうが31日であろうが、そんなこととはまったく一切ものの見事に関係のない、いつもながらの献立である。

2020.01.31-2-2昼(弁当):麦飯(ピリ辛らっきょう)、ロール白菜のトマト煮、ほうれん草と白菜の胡麻和え、かぼちゃの煮物


南蛮漬けの素が残るだろうと思っていたが完食した。

これは以前にも記したように、これだけで1品として十分通用する。野菜の酢漬け、と、思えばいいのである。それにこれだけで、人参、ピーマン、玉葱、と、3種類の野菜が摂取できる。さらには酢の効果もある。これはこれで、重宝な1品である。

と、云うわけで、いささか残ることを期待していたのだが、完食してしまった、と、云うのは、最初のときや弁当のお菜にしたときに、多めに入れていた、と、云うことだろう。

わたいの場合、「一汁三菜」を理想の食卓としていることはしばしば述べているところだが、もうひとつの理想として「少量多種」がある。 これは読んで字の如く、いろいろな献立のものを少量で揃えることである。

わたいの献立で云えば、ミニ豆腐、納豆、漬物、が、それに該当する。南蛮漬けの素もこれに与する。

ほかに、自家製漬物や、煮豆、ひじき、切干大根と油揚げの煮つけ等も、加えることができるだろう。

ただこれは、俗に云う、言うは易く行うは難し、で、あって、そんな少量分を料理る余裕は、時間面からも、心理面からも、ない。もちろん、週末にいっぺんに料理るほかないのだが、それでもないものはない。第一、そんなことをすれば、またぞろ主食(ごはん)の量が増えてしまう。やっと腹回りの贅肉が落ちたと思ったのに、元の木阿弥になってしまう。

ミニ豆腐、納豆に拘泥することなく、別の献立と差し替えればいいじゃないか、と、云われれば、それまでではあるが……。

日英同盟締結の日のひとりめし

2020.01.30-1-2朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ、トマト・ソース(残り物)

1902年(明治35年)の今日、いわゆる日英同盟が調印締結された。

この条約は、それまで「栄光ある孤立」と称して、他国と軍事条約を結ばず等距離外交を展開していた英国が、日清戦争の勝利によってその勢力を急成長させた極東の島国、日本と条約を結ぶことによってその外交政策を転換し、日本の国際上の地位を高からしめた、と、教わったおぼえがある。

それだけでなく、いや、それ以上に、この条約は、1904年(明治37年)に勃発した、日露戦争において、大いにその効力を発揮した。

すなわち、〝イギリスは表面的には中立を装いつつ、諜報活動やロシア海軍へのサボタージュ等で日本を大いに助けた〟し、〝日英同盟を契機として日本は金準備の大部分をロンドンに置き、その半分以上はイギリス国債に投下したり、またはロンドン預金銀行に貸し付けるようになった〟(Wikipedia/「日英同盟」より)。

さらに、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』でも描かれているように、〝バルチック艦隊は極東への回航に際して港に入ることができず、スエズ運河等の主要航路も制限を受けた。また、イギリスの諜報により逐一本国へ情報を流されていた〟のである(同サイト/同項目より)。

この日英同盟は、その後2度にわたる改定を経て、〝1921年(大正10年)のワシントン海軍軍縮会議の結果調印された四カ国条約成立に伴って、1923年(大正12年)8月17日に失効した〟(同サイト/同項目)。

史上最も有効に働いた、数少ない軍事条約のひとつであろう。少なくとも、日本にとっては。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

軍事条約とも戦争とも、諜報活動とも破壊工作とも、まったく一切金輪際縁のない、いつもながらの献立である。

2020.01.30-2-2昼(弁当):麦飯(みそかつおにんにく)、ロール白菜のトマト煮、ほうれん草と白菜の胡麻和え、かぼちゃの煮物

昨晩食で鰺の南蛮漬けがなくなった。これで鰺のお弔い(?)は滞りなく終了したわけである。今度また料理る機会があったら、今度はもう少しましな、少なくとも、献立、食べ物、と、思えるように料理ろう。鰺の怨念に祟られる趣味はない。

そんなわけで、あとはロール白菜のトマト煮である。こちらも結構できた。しかも1個の大きさがキング・サイズである。この半分くらいの大きさに成形して白菜を横半分に切れば、ちょうどいいくらいかもしれない。

特大サイズになってしまったので、1個で充分である。2個入れたら、またぞろかぼちゃの煮物が入らなくなってしまう。

ロール白菜のトマト煮が主菜になった、とは云っても、さすがにトマトスープを弁当箱に入れてくるわけにはいかない。仮に入れられたとしても、トマトスープがかぼちゃの煮物と混ざってしまう。あまり好ましい話ではない。それとも、これも検索してみれば、パンプキン&トマトスープなるものがあるのだろうか?

2020.01.30-3-2晩:玉子麦飯、即席みそ汁(長ねぎ、乾燥わかめ、とろろ昆布)、ロール白菜のトマト煮、ほうれん草と白菜の胡麻和え、かぼちゃの煮物、たくあん漬け、木綿奴、納豆、味付海苔

そんなわけで、ロール白菜のトマト煮が主菜に格上げ(?)である。で、昨日の弁当からあぶれた気の毒なかぼちゃの煮物が、晩食の副菜に抜擢(??)された。ほうれん草と白菜の胡麻和えは不動如山(???)の安定感である。

とりあえず、「一汁三菜」は固守しえている……はずである。

問題は野菜の摂取種類が減少していることである。南蛮漬けの素とホールトマト缶があるので、なんとか8種類に達しているが、はなはだお寒い次第である。さいわい、ほうれん草は常時摂取できているので、栄養面からは問題ないが、それにしても、もっと野菜を摂取しなければならない。

今年は暖冬のためか、粕汁を料理る気がしないのが痛い。 汁物を料理れば、野菜の4~5種類は優に賄えるのだが……。

だったら別に、粕汁に拘泥ることなく、味噌汁でもいいようなものなのだが、それだとどうもイマイチ、料理る気になれない。困ったものである。


昭和基地開設記念日の日のひとりめし

2020.01.29-1-2朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は〝昭和基地開設記念日〟なのだそうである。

「今日は何の日~毎日が記念日~」と云うWebsiteによると、〝1957(昭和32)年のこの日、日本の南極観測隊が南極・オングル島への上陸に成功し、昭和基地を開設した〟のだそうで、〝この年から翌年にかけては「国際地球観測年」で、南極大陸には日本を始め12か国による観測網が敷かれた〟とある。

なお〝昭和基地は天体・気象・地球科学・生物学の観測を行う施設〟であり、〝大小60以上の棟からなり、3階建ての管理棟のほか、居住棟、発電棟、汚水処理棟、環境科学棟、観測棟、情報処理棟、衛星受信棟、焼却炉棟、電離層棟、地学棟、ラジオゾンデを打ち上げる放球棟がある。このほかの施設として、大型受信アンテナ、燃料タンク、ヘリポート、貯水用の荒金ダム、太陽電池施設、風力発電施設などがある〟のだそうである。

基地、とは云っても、軍事用ではない。あくまでも学術研究のための観測施設である。南極は軍事利用しないように、条約で定められている。少なくとも、表面上は。

どうせなら、南極大陸だけにかぎらず、全地球上の陸地、河川、海洋、海中、空域、等々のすべてを、軍事利用しないような条約を締結すればいいと思うのだが……。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

南極とも北極とも、軍事基地とも学術上の観測施設とも、まったく一切どこをどう突いてもつながりのない、いつもながらの献立である。

2020.01.29-2-2昼(弁当):麦飯(ピリ辛高菜昆布)、鰺の南蛮漬け、ほうれん草と白菜の胡麻和え

今週のキーワードは「大失敗」と「料理り過ぎ」である。

鰺の南蛮漬けはそのふたつがもろに重なった。大失敗の原因は鰺と云う食材の選択ミスであり、料理り過ぎの原因は南蛮漬けの素である。

料理り過ぎた、と、云っても、玉葱…半個、人参…1本、ピーマン…2個、なのだから、さして多いとも思わなかった。それが料理ってみると、この南蛮漬けの素だけで、大型のタッパにたっぷり入るか入りきらないかくらいまでの量になってしまった。

どうやら、この1/2でも充分だったようだ。

すなわち───玉葱…1/4個、人参…半本、ピーマン…1個。

次回サバで料理るときにはこの量を参考にしよう。

ほうれん草と白菜の胡麻和えが9食分出来てしまった、料理り過ぎた……と、思ったら、よく考えたら、ピッタリの食数、まさにBingo! だった。

いつも足りなくてその状態が通常になってしまっていたから、料理り過ぎた、と、思ってしまったのである。

かてて加えて、鰺が大きくてかぼちゃの煮物が入りきれなかった。かぼちゃの煮物も、今週は、いつもより1食分多く料理れたので、余ってしまうことになる。まあそれは金曜の夜から土日にかけて消費することで、なんとか調整できるはずである。

それにしても考えてみれば、食べ物が余る、とは、なんと贅沢な悩みであることか!

2020.01.29-3-2晩:玉子麦飯、即席みそ汁(油揚げ、乾燥わかめ、とろろ昆布)、鰺の南蛮漬け、ほうれん草と白菜の胡麻和え、ロール白菜のトマト煮、たくあん漬け、木綿奴、納豆、味付海苔

今回唯一の成功作───と、云っても、なんとかまともにできた、と、云うだけだが───は、ロール白菜のトマト煮である。

春キャベツを用いるロールキャベツはよく知られているが、まだ時季尚早である。では春キャベツの代わりに、いまが旬の白菜でできないか、と、思いついた。基本、肉だねを葉物野菜で巻いてスープで煮るわけだから、白菜でもできないことはなかろう、と、云うわけである。検索してみればこれがあった。やはり同じようなことを考える人は、結構いるものである。

料理り方はいたってカンタンで───でなければ、料理らない───、
① まず白菜の葉を何枚か剥ぎ取り、沸騰した湯で湯掻く。

   芯の部分がやわらかくなったら笊に上げ、粗熱を除る。

② 玉葱と人参をみじん切りにし、フライパンに多めの油を引いて、弱火で30分ほど炒める。

③ 合挽肉に②と卵とパン粉を入れて、粘りが出るまでよく混ぜる。

④ ①の白菜を2~3枚敷き、食べやすく成形した③を乗せて包む。
    *芯の部分が巻き終わりとなるようにする。

⑤ 芯の部分に爪楊枝を刺して巻きを止める。

⑥ ⑤を平底鍋(わたいの場合はビタクラフトのフライパン)に並べ、中火~弱火の火にかける。

⑦ ホールトマト缶を⑥に空ける。

⑧ 弱火で30分程、じっくりと煮込む。

   途中で固形コンソメを入れる。

いちいち手順を記すと、煩わしく思うかもしれないが、ほとんど手間はかからない。

今回は1個につき白菜を4枚使ったせいか、ロール部分がだいぶ固くなった。2~3枚で充分なようだ。

ホールトマト缶は使わなくても、コンソメ風でもイケるはずである。基にしたロールキャベツがそう云う味付けだったのだから。さらには、和風にしてもイケるのでは ないか、と、思う。こうしてみると、いろいろな味付工合が期待できそうな、ありがたい1品である。


初不動の日のひとりめし

2020.01.28-1-2朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は〝初不動の日〟なのだそうである。

〝不動〟とはすなわち〝お不動さん〟のことであり、大日如来の化身とされている、とのことである。毎月28日がそのお不動さんの縁日であるらしく、したがって1月の28日は、〝初不動〟なのだそうである。

25日は天神さんの縁日で、したがって去る25日は〝初天神〟であった。

今年は土曜日でもあり、また学問にはいささかなりとも興味があるし、菅公との縁もなくはないし……と、云うわけで、散歩がてら、天満の天神さん、大阪天満宮に参詣に出かけた。

思ったほどではなかったが、おそらくは受験生親子であろう人たちで、それなりに賑わっていた。

天神さんは落語の「初天神」で馴染み深いが、お不動さん、と、なると、「不動坊」しか知らない。とは云っても、こちらは不動信仰とは無縁である。

それにしても、せっかくの初天神、しかも土曜と云うのに、受験生親子と思しき人たちがほとんどとは、やはり日本人にとって学問とは、しょせん学校教育試験勉強の同義語に過ぎないのだろうか。悲しいことである。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

お不動さんとも天神さんとも、落語とも浄瑠璃とも、学校教育とも受験勉強とも、まったく一切これっぽっちも関係のない、いつもながらの献立である。

2020.01.28-2-1昼(弁当):麦飯(角切山椒昆布)、揚げないアジフライ、ほうれん草と白菜の胡麻和え、かぼちゃの煮物

とりあえずアジフライは片付いた。今回は丸のまんま───と、云っては表現が穏当ではないが───そのままのアジを買ってきたため手こずった。次からこの献立に挑戦するときは、あらかじめ2枚なり3枚なりにおろしてあるやつを買ってくることにしよう。魚を捌けない、と、云うのも、なんだか情けないような気がしないでもないが、それはまあそれで、おいおい考えていくことにしよう。

今回のかぼちゃは「メキシコ産」である。どこからなと流入してくるものである。ありがたいことには違いないが、人間の根源たる食物を海外からの輸入に頼ると云うのも、如何なものか。

食糧自給率に問題がなければそれでもいいだろう。しかし、国内で生産される食糧だけでは、国民全員の食を賄いきれない、と、云うのでは、大問題である。竹島の尖閣の北方のと、ガチャガチャ喚き騒ぐ前に、まず自分たちの食い扶持をなんとか算段するほうが先だろう。

2020.01.28-3-1晩:玉子麦飯、即席みそ汁(わかめ、とろろ昆布)、鰺の南蛮漬け、ほうれん草と白菜の胡麻和え、ロール白菜のトマト煮、たくあん漬け、木綿奴、納豆、味付海苔

云うまでもなく、鰺の南蛮漬けも失敗作である。鰺の処理だけでなく、南蛮漬けの素も多く料理りすぎた。

鰺は素焼きにすればまだよかったかもしれないが、なまじ揚げ焼きにしようと色気を出したのが間違いに輪をかける結果になってしまった。失敗のダメ押しである。

南蛮漬けの素は少々多くても、それだけで漬物代わりになり、野菜の摂取にもなるし、酢も入っていることだから健康によろしかろう、と、つとめて前向きに考えることにする。

漬物と云えば、先週末、急にたくあん漬けが食べたくなった。急に、と、云うのも面妖しいが、こないだから金土日の晩食に、お茶漬けが食べたくなってきている。それ以前はインスタントそばだった。それはいいとして、お茶漬けの添え物として、定石通り、たくあん漬けが欲しくなってきたのである。

それで近所のスーパーで買ってきたのだが、どうも味が甘い。鰺が薄いのではなく、文字通り、甘い、のである。大根そのものの甘味なら問題ないし、むしろ大歓迎だし、本来そうあるべきなのだが、どうもそうではなくて、いろいろな人工甘味料の甘さのようである。おまけにこれが結構お高い。

そうなってくると、やっぱりここはひとつ……と、自分で料理りたくなる。今度の土曜日、大根を買ってきてやってみよう。

大根の漬物ならば、鰺とちがって、さほど難しいことも、あるまいし、大いに失敗することもなかろう。なにごとも修行である。


求婚の日のひとりめし

2020.01.27-1-1朝:トースト(6枚切り×1枚)、半熟卵(2個)、チェダー・チーズ、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ

今日は〝求婚の日〟なのだそうである。

Wikipediaによると、〝明治16年のこの日、中尾勝三郎という人物が生涯の伴侶を求めるため、新聞に求婚広告を出した。これが日本の新聞紙史上初めての求婚広告ということで、求婚の日として制定〟されたのだそうである。

初婚年齢、生涯未婚率の上昇が危惧されるようになって久しい。

わたいも及ばずながら、その上昇に貢献している。

そんなわけで、個人としては大きなお世話のような気がしないでもない。しかし、医療や年金などの国民厚生を担っている真面目な人たちの身になってみれば、由々しき問題であろう。

近頃では婚活などと称するようであるが、似たようなことはかなり以前からあったのであろう。

それにしても、〝生涯の伴侶〟と云う記述が面白い。今日び結婚相手を〝生涯の伴侶〟などと、呼ぶことはあっても、それはあくまで慣習、儀礼、建前であって、結婚する相手が果たして〝生涯の伴侶〟たりうるかどうかなぞ、周囲はもとより、当人同士だって、疑問に思っていることだろう。

もっともそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。

初婚年齢や生涯未婚率が上昇しようがすまいが、婚活が流行ろうが流行るまいが、結婚相手が生涯の伴侶であろうがなかろうが、そんなこととは一切全く金輪際縁のない、いつもながらの献立である。

2020.01.27-2-2昼(弁当):麦飯(ピリ辛きゃら蕗)、揚げないアジフライ、ほうれん草と白菜の胡麻和え、かぼちゃの煮物

ご覧のとおり、まったくの失敗作である。こんなことはここ数年来、いや、料理をはじめてからおよそ初めてのことではなかろうか。

最初期───味噌汁を料理るのに、味噌を入れてから大根や人参などの具材を入れていた頃───に、魚の二枚おろし、三枚おろしをやろうとして大失敗したとき以来である。

そもそもの原因は、アジをイワシと同列に見ていたことである。アジもイワシと同じく、捌きやすいだろう、と、思い込んだのが、そもそもの間違いだった。

イワシは頭さえ落とせば、指で簡単に腹を裂いて内臓を取り出せるが、アジはそうはいかなかった。案外骨が硬くて、切るのに往生した。内臓も取り出しにくい。

まず、〝ぜいご〟なるものを処理するのが大変だった。これは尾の付け根にある硬いギザギザ様の部分で、これをそぎ取るのがまず大変だった。

次に、腹を裂くのが、これまた簡単にはいかない。なんとか切腹させても、イワシのように、指で内臓を掻き出す、と、云うわけにはいかない。

なにからなにまで大変であった。

結論として───アジは自分では調理しないこと。するのならば、切身を買ってくるに如くはなし、で、ある。

2020.01.27-3-2晩:玉子麦飯、即席みそ汁(豆腐、乾燥わかめ、とろろ昆布)、揚げないアジフライ、ほうれん草と白菜の胡麻和え、ロール白菜のトマト煮、ぬた、木綿奴、納豆、味付海苔

そんなわけで、失敗した献立は早く消費するに限る。とりわけ生物系の献立は、自分の未熟な技倆で折角の生命を無駄にした怨みを突きつけられるようで、長く置いておきたくないのである。

魚にしても、命を断たれて他種の食物となるよりも、自由闊達に海や川のなかを泳ぎ回っていたかったろう。

それを釣り上げられ、命を奪われ、それでも、美味い、滋養になる、と、よろこばれ、生存存続の役に立つのであれば、まだしも以て瞑することもできるであろうが、死後にまでこのような無慙な姿をさらさねばならぬとあっては、それこそ死んでも死にきれまい。一日一刻も早く消費し奉るのが、供養と云うものである。

ぬたは先週の残り物である。土日で消費しようと思いながら、その都度キッチリ忘れていたのである。

そもそも金曜の夜と土日は、外食もしくは弁当などで済ます習慣である。近頃外出するのが億劫になり、手軽に済ますようになったけれども、習慣とは恐ろしいもので、そんなときに冷蔵庫を開けても、残り物は目に入らないと見える。まあ酢味噌で和えたものだし、暖冬とは云え冬場のことだし、そうそう慌てて片付ける必要もあるまい。


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